Page top

OMRON

社会システムJapan

オムロン ソーシアルソリューションズ株式会社

Primary Contents

ピックアップコンテンツ 特集:改札機

課題:ラッシュアワーの大混雑を解消する。

~毎日の駅の大混雑。解消を願う社会要請に立ち上がる~

高度経済成長のただ中にあった1966(昭和41)年、世界で最初となる自動改札機の試作機が京都で誕生しました。近畿日本鉄道株式会社様と共同で開発を手がけたのは、当社の前身、立石電機株式会社の社員たちでした。

1960年代、日本の経済・産業はまさに破竹の勢いで発展を続け、社会は好景気に沸いていました。都市部には農村から労働者が大挙して押し寄せ、急激な人口の増加に交通・住宅・消費物資などのインフラが追いつかない状況でした。鉄道もその一つです。とりわけ朝夕の通勤ラッシュ時の駅の混雑は想像を絶するものでした。満員電車から吐き出された人々がホームにあふれかえり、改札では殺到する人々をさばき切れず、長蛇の列ができました。その光景は、「朝の通勤地獄」などと世界各地の新聞で報じられたほどすさまじいものでした。

駅の大混雑を解消する。それは当時、最も切実な社会要請の一つだったのです。当社の社員が総力を尽くして挑んだのは、そんなソーシャルニーズの解決でした。

改札業務を代行する機械を作れないか

改札機開発 イメージ図

始まりは1963(昭和38)年。駅のあまりの混雑ぶりに頭を悩ませた近畿日本鉄道様から、人に代わって改札業務を遂行できる機械を作ることはできないか、と打診されたのがきっかけでした。そこで社内に開発チームが作られ、当時ラッシュアワーの乗客の約8割が使っていた定期券専用の自動改札機を作ることが決定。1965(昭和40)年、本格的な開発が始まりました。

まず取りかかったのが、本体である改札機の設計でした。機械を細長い形にすることで、手前から入れた定期券が改札機の中を通過し、乗客は立ち止まることなく出口で定期券を受け取れる仕組みが考え出されました。

改札通過スピード0.6秒。切符搬送技術の開発

自動改札機の開発において最初の課題は、定期券を通す「スピード」でした。改札機の能力が駅係員の処理スピードより遅くては意味がありません。社員がラッシュ時の駅で改札を通る人を数えたところ、1分間に80人もの乗客が通過することがわかりました。つまり一人が改札を抜ける時間はわずか0.7秒あまり。その間に定期券も機械の中を通過させなくてはならないということです。そのための搬送技術を生み出すことが、大きな壁となりました。

技術者たちは0.6秒以内で定期券が改札機の中を通過することを目標に開発を進めました。その搬送方法として思いついたのが、工場のベルトコンベアの仕組みです。同じ要領でベルトを回す速度を高速にすれば、目標は達成できるだろうと最初は楽観的に考えていました。しかし事態はそれほどうまくは進みませんでした。

搬送用ベルトが切れる! 耐久性と戦う日々

最初の試作機が完成したのは、1966(昭和41)年。ラッシュ時と同じ状況で定期券をうまく処理することができるか、開発に携わった社員はだれもが胸を躍らせました。しかし、検証実験を始めてわずか5分後、あっさりとベルトが切れてしまったのです。搬送用ベルトの開発は、ふりだしに戻りました。

熟考の末、当初一本のベルトとドラムの組み合わせだったものから平ベルトを二本重ね、その間に乗車券を挟んで搬送する構造へと改良を加えました。さらにベルトの強度も見直しました。搬送の際の激しい摩擦や高速運動に耐えられる強度を実現するために、何度も試作品を作っては耐久テストを繰り返しました。折しも製品の「信頼性」の重要性が議論され始めた時代。より信頼性を高めようと、零下20℃の低温槽の中でもベルトの特性検査が行われました。